大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)2562号 判決 1985年9月18日

原告

佐久間秀和

右訴訟代理人

伊藤貞利

被告

愛知県住宅供給公社

右代表者理事長

中村隆

右訴訟代理人

佐治良三

右訴訟復代理人

藤井成俊

右指定代理人

加藤長宏

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告 「被告は原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年八月一八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言。

二  被告 主文と同旨の判決。予備的に敗訴の場合の仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は三井生命保険相互会社に勤務する医師であり、被告は愛知県の委託により県営住宅の賃貸その他の管理を行つている公法人である。

2  原告は愛知県より県営辻町住宅四街区四棟四〇一号室(以下「本件住宅」という。)を昭和五六年四月一日より賃借使用して現在に至つている。

3  ところが被告の管理第一課所属職員大関敬文及び加納基二は共謀のうえ、昭和五九年七月三〇日に本件住宅の玄関扉表に別紙一の内容を記載した縦三八センチメートル、横五三センチメートルの貼紙(以下「一号貼紙」という。)を布製ガムテープによつて貼付した。

4  右貼紙の内容は「現在当住宅をほとんど使用していないような実態にあります」という事実に反することを表示しているものであり、かつ、その通知の仕方がサラ金がかつてしばしば用いたものと同一の不当きわまるものであつたため、原告はこれを無視して被告に連絡をしなかつた。

5  ところが右大関及び加納は再び共謀のうえ、同年八月一七日に同室の同所に別紙二の内容を記載した同じ大きさの貼紙(以下「二号貼紙」という。)を同様の方法により貼付した。

6  右貼紙の内容は「連絡のない場合には、公社において当住宅を封鎖します」という法律上不可能なことをあたかも可能であるかのように表示しているうえ、その通知の方法も前回同様不当きわまるものである。

7  右の貼紙による通知の内容が事実に反するうえ法律上不可能なことを可能として表示していること、その通知の仕方が不特定多数の第三者に知られるような方法でかつてサラ金が用いた不当な方法でなされたことにより原告は著るしく名誉を毀損された。

8  右大関及び加納の行為は原告に対する不法行為であり、かつ、右両名は被告の職員たる地位において、その業務の執行としてなされたものであるから、被告は右両名の使用者としての損害賠償責任を負うものである。

9  しかして右名誉毀損による原告の精神的損害を慰謝するには金一〇〇万円の支払をもつて相当とする。

10  よつて原告は被告に対し不法行為による損害賠償として金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の翌日である同年八月一八日より支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち原告が昭和五六年四月一日以降本件住宅を愛知県から賃借して現在に至つていることは認めるが、同日以降現在に至るまで右住宅の使用を続けていることは否認する。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実のうち原告が被告に連絡しなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  同5の事実のうち貼紙が貼付された日を除き認める。貼紙が貼付されたのは八月一七日ではなく、八月二一日である。

6  同6ないし9の事実うち、被告の職員がその職務の執行として本件各貼紙の貼付をなしたことは認めるが、その余の点については否認する。

三  被告の主張

被告の職員が本件各貼紙の貼付により原告に対し記載内容を通知して連絡を求めたことは適法な職務行為であり何ら違法性がない。すなわち、

1  本件住宅は「住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とする」公営住宅法に基いて愛知県が建設した住宅であるから原告は本件住宅を使用する要件に欠け、或いはその必要性が低いのであれば本件住宅についての賃貸借契約を解除し速やかに住宅に困窮している他の県民にこれを賃貸し、或いはその収入が基準を超えた場合には入居者に明渡努力義務を課し、割増賃料の支払義務を発生させる等の措置をとることが同法の趣旨に沿うところであるが、そのために本件住宅使用の必要性の有無とその程度について原告から次の諸点について直接事情を聴取する必要があつた。

(一) 原告は入居申込書に父母及び妹の三名が入居者と記載しているが父母は真実入居したか否か疑問であり、そうすると入居者の収入額が基準額に達せず不正入居の疑いがあつたこと

(二) 入居後間もなく父が従前の住居に転出しているほか、その後母、妹も居住していない疑があるのに賃貸借契約上の義務である同居親族の異動届未提出の疑があつたこと

(三) 三年以上の入居者については契約者及びその同居親族の収入状況を報告しなければならない賃貸借契約上の義務があるところ、原告は再三被告からの収入報告書の提出を求める書面の配付、郵送を受けたのに収入報告書を全く提出していない。

(四) 更に原告は、一五日以上本件住宅を使用しないときは事前に届け出なければならない貸貸借契約上の義務があるのにこれを怠つている疑があつた。

すなわち、原告は入居以来本件住宅を本来の住居としての用途にほとんど使用していない状況にあつた。

2  本件各貼紙の文言はすべて事実に符合し、かつ、原告の人格的価値についての社会的評価が低下するおそれはない。

(一) 一号貼紙の「ほとんど本件住宅が使用されていない実態にあります」との記載は連絡員からの調査の結果、原告は清掃当番にも出ず、回覧板も本件住宅で止まつてしまうこと、共益費の未納分について何度督促に行つても不在であること、本件住宅の昭和五九年二月以降の水道使用量は同年六月分が零であるほか常に二立方メートル以下であり、標準的な家庭の十分の一以下であることから本件住宅がほとんど使用されていなかつたことは明らかである。

(二) 二号貼紙の「昭和五九年八月三一日までに連絡のない場合には公社において当住宅を封鎖します」との記載は、公営住宅の入居者が長期間にわたり住宅を使用しないで放置することは好ましくないことであるうえ、かぎが第三者に渡つて不正入居、不正利用のおそれが考えられるところから、被告は、右の事態の発生を防止するため一号貼紙を貼つても連絡がない場合には、更に二号貼紙を貼り、それでも期日までに連絡がない場合には、当該住宅のかぎを取り替えるとともに、入居者が当該住宅に戻つてきた場合に備えて別紙三記載の貼紙(以下「三号貼紙」という。)を貼付している。右かぎの取り替えとこれに伴う三号貼紙の貼付の一連の手続を「封鎖」と称している。住宅の封鎖後でも賃貸借契約が解除される前に入居者が当該住宅に戻つて、被告に連絡してきた場合には取り替え後のかぎが入居者に交付されている。

住宅の管理に当る被告が本件住宅について右の措置をとることは法律上当然になしうることである。

3  原告に対する連絡方法としては、本件貼紙以外に有効適切な方法がない。

(一) 勤務先に連絡する方法については、原告の入居申込書には学生としての記載しかなく、契約上の義務及び被告からの督促に反して、収入報告書も提出していないのであるから被告において原告の勤務先を知る由もなかつた。また、通常入居者の勤務先に連絡し住宅の利用状況等を調査することは私生活上の問題を勤務先に持ち込んだとして入居者から抗議されることが多く適当な方法とはいえない。

(二) 郵便による方法及び郵便受けに連絡文書を投函する方法(以下「郵便等による方法」という。)は、不正入居の疑のある者や賃料滞納者については反応の割合が極めて低く、ほとんど有効な連絡方法とはならない。原告は契約上の義務に反して父親の異動届を出さず、被告から二回にわたり収入報告書の提出を求める文書を受領しながらこれに応じなかつたものであり、郵便等による連絡方法をとつても功を奏しないことが予測されたものである。

(三) 保証人に尋ねる方法については、保証人が十分な情報をもつているという保障はなく、保証人から原告の勤務先等についての情報を得たとしても前記1(一)後段と同様の問題を内包しているものである。

4  本件一、二号の貼紙(以下「本件貼紙」という。)の文言によつて原告の人格的価値に対する社会的評価が低下するおそれは全くなく、仮に原告の名誉感情を害するとしても不法行為としての名誉毀損とはならない。本件貼紙には原告の性格、生活態度、賃料未払等に関する記載はなく、原告の人格的価値についての社会的評価には影響がない。

四  右被告の主張に対する原告の答弁

被告の右主張事実はいずれも否認する。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1、2(但し本件住宅を原告が使用している事実を除く。)3、5(但し、貼紙のなされた月日を除く。)の各事実は当事者間に争いがない。

二そこで被告の職員らが本件貼紙を貼付したことが不法行為になるか否かについて判断する。

1  <証拠>によると以下の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は昭和五六年四月に医科大学を卒業し、名古屋市内に医師として就職を予定していたところ、同年二月頃本件住宅のある辻町県営住宅に入居申込をしようと考えた。

(二)  ところで右公営住宅の入居者資格としては、同居親族を有すること、政令で定める基準の収入のあること、住宅に困窮していることが明らかであることの要件を具備している者であることを要するため、原告は昭和五六年二月七日同居の予定がないのに同居の親族を父正夫、母ひで子、妹若生とし、右収入につき基準内にある父母の収入を証する書面を添付し、県営住宅入居申入をなし、同年三月二八日愛知県との間に本件住宅の賃貸借契約を締結し、同年四月一日より入居することとなつた。

(三)  右入居申入は、原告には名古屋市北区杉栄町に両親らと共に居住する自宅を有し、本件住宅には両親らは居住する予定はなく、かつ原告は当時無収入で入居者資格がなく、これを有するがごとく右(二)のとおり虚偽事項を記入し不正に右入居申入をなし賃貸借契約を締結したものである。

(四)  そこで昭和五六年四月から原告一名のみが本件住宅に入居したが、以後の原告の利用状況は、週二、三回の割合で本件住宅内で勤務後の夕方音楽を聞いたり、読書或いはテレビを見る、飲酒をする等のくつろぎの場所として使用するほか、週一回程度の割合で寝泊まりをすることのみに使用するだけで、その他は杉栄町の自宅において寝泊まりし、食事、炊事、洗たく、入浴等はすべて右杉栄町の自宅においてなし、同所より通勤していた。

(五)  父正夫は昭和五六年四月一五日一応本件住宅へ入居したが如き転居届をなしたが、同年五月二〇日再び杉栄町の自宅への転居届がなされており、妹の若生は昭和五八年四月から同年一二月まで本件住宅に入居していたことがあつたが、昭和五九年一月には他に転居した。賃貸借契約上右転居については原告は被告に対し異動届を提出する義務があるのにこれを出していない。

(六)  原告は昭和五六年六月から医師として就職し、その収入は昭和五九年には年間約一一五〇万円であり、県営住宅入居基準をはるかに超過していた。原告は右勤務先、収入等について被告に何ら通知連絡もしていない。

(七)  被告は昭和五九年五月八日、原告に対し賃貸借契約上の義務である収入報告書の提出を同月二三日までになすよう書面による通知を連絡員を通じ郵便受に差入れて送達したが、原告はこれを無視し提出しなかつた。更にその後再度右収入報告書の提出催促の書面を同様方法により原告に送達したが原告はこれに対しても応じなかつた。なお、法規上及び賃貸借契約上入居者の収入が基準所得月額を超えた者は公営住宅を明渡すよう努力する義務が発生し、かつ、割増賃料支払義務を生じ、右の点について、被告は調査義務を原告は報告義務を有するものである。

(八)  被告は昭和五九年七月三日連絡員より本件住宅は同年三月頃から住居として利用されていないとの報告を受け、入居状況を調査するため住民票を取り寄せたところ、父正夫が前記転居届をなしていることが判明したほか、原告は毎月の住民による清掃等にも参加せず、本件住宅は全戸不在のときが多いことが判明した。なお、賃貸借契約上一五日以上県営住宅を利用しないときは、入居者はあらかじめ被告に届け出なければならず、正当な理由によらず一五日以上これを利用しないときは契約解除理由となるものである。

(九)  そこで被告は原告について不正入居の有無、住宅の困窮事情の有無、同居親族の異動届、収入報告書の未提出の事情、住宅不使用の事実の有無に関して原告より事情聴取の必要を認め、昭和五九年七月三〇日被告の職員二名は直接原告に事情を聴くため本件住宅を訪問したが全戸不在のためこれをなし得ず、やむなく、本件住宅玄関扉に本件一号貼紙を貼付し、原告が被告に連絡することを求めた。

(一〇)  ところが、右連絡期限である同年八月一五日までに原告から何らの連絡もなかつたため、同年二一日右両名が再度本件住宅を訪れたが、一号貼紙は取り去られ、全戸不在で事情聴取ができなかつたため、やむなく、二号貼紙を右同様方法で貼付した。

(一一)  その後右連絡期限とされた同年八月三一日までに原告から被告に対する何らの連絡もなされなかつた。

(一二)  なお、被告としては、右二号貼紙に対しても応答がない場合には、長期間の住宅不使用は好ましくなく、第三者の利用等のおそれもあるので当該住宅のかぎを取りかえ、更に三号貼紙をなし(これを被告は「封鎖」と称している。)、入居者が当該住宅に戻つて被告に連絡してきた場合には取りかえ後のかぎを入居者に交付する取扱をしているのが通例である。

(一三)  被告の従前の取扱例では賃料未払者、住宅の長期未使用者等の賃貸借契約義務不履行者については通常の郵便による通知は無視され実効をあげられない場合が多かつた。

2 以上認定の各事実を総合すると

(一) 原告は本件住宅の入居資格がないのにこれを偽り、不正な入居申込書を作成して入居したうえ、賃貸借契約上の義務である同居親族の異動届、収入報告書の提出を履行せず、かつ、本件住宅を住居としての本来の用途にほとんど利用していなかつたのであるから、公営住宅法の趣旨に則り本件住宅の管理を適正、合理的に行うべき立場にある被告としては、速やかに右の諸点について調査確認のうえ適切な措置を採るために原告から事情聴取をする必要があつたものと認められる。

(二) 右各義務不履行の状況にあり、それまで被告からの郵便受への書面の差入れによる再三の通知、催促を無視していた原告に対しては通常の郵送或いは書面差入れによる通知は実効を得られないと考えられたことは当然であり、原告の勤務先については原告から被告への届出がない以上これを知り得ず、また、賃貸借契約の保証人或いは職場への通知、連絡は、原告の右義務違反等の行状が問題となつていることから、原告の意思に反するおそれがあることより、被告として先ず右保証人、或いは職場への通知、連絡に努めるべきが相当とまではいえない。

(三) また、前記のとおりの原告の住宅の利用状況から一号貼紙の内容がことさら事実に反する記載であるとはいえず、二号貼紙の内容についても原告が一号貼紙による通知に出頭或いは連絡すれば何ら問題となる事項ではなく、被告からの度重なる通知連絡要請に全て応答がなく、長期未使用と認められた住宅の管理行為として前記1(一二)に認定の行為をなすことが違法なことであると断定はできず、二号貼紙が法的に不可能なことを可能と記載しているとはいえない。

(四) 更に本件貼紙は記載事項自体原告の人格的価値についての社会的評価を客観的に低下せしめる内容にわたるものであるとも認められない。

(五) もつとも本件貼紙は記載内容を伝達する目的手段として必要限度以上の大きさであり、これを見た原告が精神的衝撃を受けたことは予想されるところであるが、賃貸借契約上の義務を履行せず、被告からの再度の催促にも応ぜず、報告等も怠つていた原告に対し、緊急に連絡、事情聴取を必要としていた被告としてはある程度の心理的強制の効果をも期待し右の大きさ、内容の貼紙を用いたことは許容されないものとはいえない。

3 以上のとおり被告の職員らが原告に対して本件貼紙によつて通知をなしたことは公営住宅を適正、合理的に管理すべき任を有する被告の職員としての職務行為として、前記不正入居、契約不履行、住宅の使用状況にあり、通常の方法による通知に応じていなかつた原告に対して緊急に事情を聴取する必要上なしたものであり、その目的、態様、経緯等より違法なものとはいえず、適法な行為と評価すべきものである。

そうすると被告の職員らの右行為が違法であり、原告に対する不法行為を構成することを前提とする原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。

三以上の次第であつて原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官松村 恒)

別紙一

昭和五九年七月三〇日

佐久間 秀 和 様

あなたは、現在当住宅をほとんど使用されていないような実態にあります。

このため事情をお尋ねしたいと存じますので、昭和五九年八月一五日までに公社あて連絡してくださるようお願いします。

連絡先 愛知県住宅供給公社管理第一課

担当者 大関、加納

電 話 九六一―一八〇一

別紙二

昭和五九年八月一七日

佐久間 秀 和 様

先般、公社あて連絡してくださるようお願いいたしましたが、いまだに連絡がありません。

従つて、昭和五九年八月三一日までに連絡のない場合には、公社において当住宅を封鎖しますので、ご承知おきください。

連絡先 愛知県住宅供給公社管理第一課

担当者 大関、加納

電 話 九六一―一八〇一

別紙三

昭和  年 月  日

告   知

先般来、再三にわたり、公社あて連絡してくださるようお願いをいたしましたが、指定の期日までに連絡がありませんでしたので、事実上当住宅を使用されていない実態であると判断し、公社において当住宅を封鎖しました。なお、必要のある場合は下記のところまで連絡してください。

連絡先 愛知県住宅供給公社

担当者

電 話

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例